憂鬱の大部分は環境をコントロールできないという無力感から生まれる。

あなたが環境をコントロールできると感じ、あなたのすることが実際に機能するようになればなるほど、あなたは幸せに感じる。あなたがフラストレーションを感じ、怒り、混乱しているのは、たぶん何か、たとえ小さなことであっても、あなたにコントロールできないことが起こったためだ。キーボードのスペースキーが効かなくて、あなたがタイプすると単語がくっついてしまう。これはあなたがスペースキーを押したにもかかわらず何も起こらないために、フラストレーションを感じるのだ。あなたの家の玄関の鍵がうまくかからない。あなたが鍵を回すと引っかかってしまう。これもまたちょっとしたフラストレーションだ。こういったことの積み重ねが、その日その日の私たちを不幸せにする。たとえそれがくどくど話すほどのことではないにしても(アフリカで飢餓に苦しむ人々のことを思えば、スペースキーのことで取り乱すなんてとんでもない!)、それは私たちの気分を変えてしまうのだ。

飯島愛さんがクリスマスイブに遺体となって発見され新聞等において「孤独死」と表現されていたが、人が死ぬ時はどうであれ孤独なものではないだろうか。例え多くの仲間に囲まれていようが、意識が遠のいていくなかで、「俺一人逝くのか」とやっぱり孤独だろう。死とはそもそも孤独なものに違いない。私も多くの仲間を山で失ってきた。昨年のエベレストでは山頂直下で彼が息を引き取るのを見届けた。埋葬する余裕もなく顔に一握りの雪をかけるのが精いっぱいだった。それから一人下山を開始するのだが、生き残るほうも、先に逝くほうもきっと同じ種類の孤独感だったのだろう。

 仕事がら死について考えることも多いが、自身が逝く時は誰一人いない高原のような場所でスッと消えたいと思う。そしてなんかの時に「ああ、あんな奴いたなぁ~」と噂されれば、それでいいんじゃないかと思います。